皆読皆書

  皆読  皆書
  皆話  皆綴
 これがむずかしいような国語教育が、我が国にあってはなりません。教育を受けないものなら知らず、荷も義務教育をうけたものが、皆読・皆書・皆話・皆綴が出来ないとしたら、小学校教育者は相当責任を感じてよいと思います。その原因を児童の環境に帰したり、児童の天賦に帰したりして、淡き安心を貧るようなことは、小学教師に決してあってはならないことです。是は是、非は非、押すべきは押し、改むべきは改め、堂々大道を闇歩する底の丈夫的覚悟がなくてはなりません。国語教育が興隆しないで何の国民教育だと思います。
(昭和十年五月八日於高松大松閣)
恵雨語録より


皆読、皆書、皆話、皆綴は芦田先生の悲願であります。

皆が綴れるとは。

何を綴るかと、どう綴るか。
綴ることは再構成すること。表現したいことを再構成しなければ綴れない。

自分の想があり、それを綴る。

誰に(自分を最初の読者として)綴るか、読者の想定。

  • 最終更新:2020-09-14 11:13:08

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード